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環境問題やエネルギー問題、人権問題、核問題など世界が共有するさまざまな問題意識を、日本語社会のなかで読み解くには限界がある。 英語教育問題は百家争鳴の状態であり、私ごときに意見する資格もないが、あえて金融実務経験者としての立場からひとつ言わせていただければ、大学教育段階から金融を英語で教えるのが世界の常識であることにもう少し注意を払うべきであろう。
すでに何度か述べたように、金融や経済において歴史を学ぶことの意味は大きい。 だが最近の高等教育においては、世界史と日本史の双方を学習するケースが希少になっているという。
これは日本史が必須科目でないことや、大学入試センター試験において地理歴史公民一科目という選択方式にしていることなども影響しているのだろう。 だが、金融のように大西洋史が重要なポイントになる場合は、日本と世界を並列においた歴史観が必要になる。
英国に E 銀行が設立された1694年、日本はどんな時代だったのだろうか。 経済史家の A 教授は「世界の経済成長は1820年代に始まった」と分析しているが、当時の日本経済はどんな状況にあったのだろうか。
Mの『資本論』第1巻が出版されたのは1867年であったが、日本の民間経済はどんな環境に置かれていたのだろうか。 1944年にブレトンウッズ会議が開催されていたとき、日本は国家として何を考えていたのだろうか。
政治思想や文化が歴史の集積であるように、金融もまた歴史を背負っている。 金融史観が金融力の水準に影響していることは否定できない。
教育施設や制度が整備されているはずの金融機関でも、金融の歴史をあまり教えないのは不思議である。 それは自動車メーカーで自動車の歴史を教えないのと同じであろう。

金融教育が乏しいというわけではない。 今では、初等・中等教育を対象とした啓蒙的なものや投資家を対象とした運用教育的なもの、大学院でのファイナンス科目、そして金融業界を対象とした専門性を追求するものなど、金融関連の教育は幅広く行われるようになっている。
金融リテラシーの向上という意味では高く評価されるものであるが、投資手法や金融工学など実利的な教育に集中する傾向もある。 歴史を学ぶことの重要性も、同時に考慮されるべきだろう。
またやや観点は異なるが、大学と金融の接点に関していえば、著名大学といわれる卒業生のうち銀行など金融関連に就職するシェアはかなり高いといわれている。 たとえば T大学のwebサイトによれば、2006年卒業者3298人中就職したのは1069人で、そのうち金融・保険業が233人と17%を占めている。
ちなみに公務員は162人)、サービス業が155人)、情報通信業は147人)となっている。 大学によって多少の差異はあるだろうが、おしなべて金融関連業への指向が高いことは容易に想像できよう。
金融界はそれだけ優秀な学生を集めているということだが、仮に一部の識者が指摘するように「金融セクターが成長産業でない」とするならば、日本は「成長しない産業に大量の優秀な学生を送り込む」というきわめて非効率な構造を抱えていることになる。 昨今、日本の国力が衰えているという指摘も増えつつあるが、ここにそのひとつの遠因を見るような気もする。
戦後の日本経済を牽引したのは、繊維、造船、電気機械、自動車そしてハイテクといったいわゆる「ものづくり」産業であったことは間違いない。 米国に次ぐ世界第2位のGDPを有する国力をつくりあげたのは、こうした産業が競争力を高め、輸出で外貨を稼いだ結果であった。
その重要性は今でも変わらない。 一方で銀行を中心とする金融産業は、こうした「ものづくり」産業に十分な資金が供給されるように、「カネの仲介業」つまり経済成長のための資本供給を安定化・円滑化する役割が期待されてきた。
特に戦後の資本不足の際には、資金を集金してまとまった金額を主要企業に安定的に供給することが銀行や証券会社の最大の使命となったのである。 散在する資金を資本へと転換する役割といってもよいだろう。
だが、すでに世界各国の金融戦略を見てわかるとおり、欧米諸国だけでなく新興国が金融を成長産業の鍵として捉えているのは自明である。 金融を成長エンジンのひとつとして利用している米国は、もはや例外ではなくなった。

欧州はユーロを大きな武器として自覚し始め、その資本市場の拡大を成長資源として見なし始めている。 そして中東や中国は、サブプライム問題で挫折した欧米金融機関を「絶好の投資機会」として見ている。
日本の金融が不良債権問題で苦しんでいる間に、国際金融の姿は随分と変化してしまったのである。 だが、日本は、金融を成長産業として扱うことに大きな戸惑いを感じている。
「ものづくり」と「金儲け」のニュアンスとしての倫理的落差は大きい。 それは、ライブドアや村上ファンドなどの新興勢力への反感、そしてスティール・パートナーズを「濫用的買収者」と認定した高裁判決などに典型的に現れている。
これらの新規参入組が資金力を振り回して企業社会や金融市場の倫理を踏みにじったことは許せないが、世間の反応には過剰なまでの生理的嫌悪感が含まれているように思える。 金融に「金儲け」のイメージが強いのは事実だが、その側面しか見ないのはバランスを欠いている。
金融には、非効率な資金偏在を効率的に循環させかつ資本化する過程で、スーザン・ストレンジは、現代の経済、ンスーアムとそれを支える金融市場を「カジノ資本主義」「マッド・マネー」という表現で批判した。 そうした金融批判が、2007年のサブプライム問題を契機として世界中に瞭原の火のごとく広がり始めている。
日本においても、不良債権問題の際に全国に鳴り響いた銀行バッシングが、形を変えて再び金融バッシングにつながりそうな雰囲気もある。 加価値を生む側面もある。
それは知的生産の技術でもある。 金融の卑しい面だけをことさら強調して批判するのは、経済成長の重要な源泉を捨てるに等しい。
その風潮を変革するには、民間の力だけでは足りない。 国家による適切な金融プロジェクトの計画と実行、そして管理が必要である。

ただし、それは外貨準備の積極運用といった表層的なものを指しているのではない。 額に汗して稼ぐのは許されるが市場売買で稼ぐのはいかがなものか、という土着的な感覚は、理解できないでもない。
だがお金を仲介し、お金を資本化することで付加価値を高める金融は、本当に成長産業になる資格がないのだろうか。 ものづくりと同様にマネー・ビジネスもまた重要な仕事になっている現実を直視しないままでは、日本は永遠に米国と中国との間を漂流する「ものづくりGDPマシーン」の域を脱することはできないのではないだろうか。
日本のアカデミズムやメディアの論調にも、金融立国や投資立国などの概念に冷やかな対応を示すものが少なくない。 たしかに「金融」や「投資」は「自動車」や「アニメ」と違って日本人に不向きなビジネスなのではないか、という議論は古くからなされてきた。
金融立国論などの基本構想がややナイーブであることも否定しない。 金融史を概観すれば、日本の現時点での金融力に過大な期待をすべきでないことは、指摘を受けるまでもない。

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